すらいむのひとりごと

童貞のオタクがお送りする群像劇スペクタクル

「消費」だけじゃなくて「創造」できる人生でありたい

 みなさんお久しぶりです、すらいむです。

 

 ただいま深夜3時になりそうといったところです。

 

 

 本当はこんなに更新しないつもりではなかったんですよ。今までに何回か更新しようと思って記事を書いていたんですが、結局、書き途中のまま下書きに取り残されて世に出ることはなくなってしまうパターンが多すぎてどうしても更新ができません。

 

 今日は、せっかく新しいキーボードを買ったのでそれを思う存分使おうと思って軽い気持ちで書いています。たぶんこれは世に出すと思うので、途中で終わらないように一気に書きます。読みづらかったらごめんだし、変な話してても許してちょ。

 

 

 ちなみに新しいキーボードに関してはYoutubeに動画を出しているのでぜひ見てください。

 

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 動画はこちらになっています。よろしく。

 

 

 というわけで、今日書こうと思っていることは、この動画にも通ずることなんですが、一言でいうと

「作る側になりたい!」

です。

 

 この大衆消費社会において、ほとんどの人は消費する側だと思うんですよ、特に趣味とか好きなことに関しては。

 

 社会人になったらそれはそれでいいのかもしれません。仕事を通して何かしらをみなさん生み出していると思うからです。

 

 エンジニアとか農家だったら物理的に物を作っていると思うし、営業とか店員とかでもお客様に対して何かしらを生み出しているはず。

 

 

 というかそれ以前に、お金を生み出しているじゃないですか。

 

 というわけで、今思っていることは「大学生のうちにしたい!」みたいなことなのだと思います。

 

 

 大学生、ある意味消費でしかないようにも感じる。大学の学びとしてどうなのかというツッコミもありそうですが、勉強は知識をインプット、授業を消費しているし、生活では親の稼いだお金を消費、毎日ゲームをして時間を消費する日々。

 

 なんだか捉え方次第みたいなところありそうですがとりあえず話だけでも聞いて下さい。

 

 バイトはどうなんだという声もありますが、バイト代なんてたかが知れてるので、あまり生み出しているという感じはしません。ただ、得られる経験値はたくさんあるので、単に消費しているという感じでもないです。グレーです。

 

 というわけで、僕は「創造」する側の人間になりたいと思いました。

 

 具体的に創造は僕の中で何を指してるのか。それは例えば「作曲」だったり「動画投稿」だったり、まさに今やっている「ブログ執筆」だったりする。このラインナップは、「現在の今の装備でできること」だと思っている。

 

 日々の体験をただ自分の中にしまいこんで終わり、というのはちょっと嫌なのだ。

 

 ゲームをするなら、やるだけじゃなくて動画にしてあげたいし、配信とかもしたい。物を買ったらそれだけじゃなくて動画にしたい。何かを体験したらそれで作曲したい。なにかあったらブログの記事にしたい。

 

 そういうことなのだ。

 

 ただ、ここで立ちはだかるのは「モチベーション」の壁である。

 

 見てくれる人がいなければ、作ったとしてもやるせない気持ちになってしまう。観てくれないのに作る必要あるのか?それこそ下手をしたら「自分はいらないのか?」という発想になってしまうかもしれない。

 

 こういうことは、続けないとみてもらえないのに、続けるためには見てもらえないとモチベが保てない。こんなに深刻なジレンマ、または板挟み状態、ほかにあるだろうか。

 

 自分の居場所は自分で作れみたいな話にもなってきそうだがそこは触れない。いつかそれでブログ書くかもしれないね。

 

 

 ただ、作り手になりたいのは、「見てもらって反応をしてもらえるうれしさ」を知っているからだ。

 

 ですます調で書いてたのになんかである調なってるな。まあいいや、深夜だしかたない。

 

 僕は何曲か既に作ったことがある。最近作ったのはYoutubeには挙げていないのでここにリンク貼れないのが残念だが、それはそれ。

 

 話を戻す、それで作った曲を少し前に友達に聴かせたことがある。その時に「ちゃんと曲になっててすごい!」と言われたのだ。

 

 

 決してレベルの高いものではなかった。友達だから言ったお世辞である可能性すらある。それでも、自分じゃない誰かに聴かせて、何らかの反応をもらえた。これはとってもうれしいことだった。

 

 自分の話で相手に笑ってもらえた時に感じる喜びと似たようなものだろう。

 

 それだけなのだ、人間は承認されるとうれしい。それだけ。

 

 

 それだけのためだけど、それがすべて。承認のために人は生きている。ヒトといういのは集団で生きる動物なのだ。他人に必要とされなければ死んでしまうだろう。さみさを感じたうさぎと一緒だろう。

 

 今年、誰かが自殺したというニュースをよく耳にする。やはりコロナの影響は大きいのかもしれない。

 

 感染防止のために家から出ることは少なくなった。そうすると、他者との関係が一気に希薄化する。他人と関わっている自分、集団の中の自分、社会の中の自分を見失ってしまう。そうやって自分を見失ってしまうと、自分はこの世に必要なのかわからなくなってしまう。

 

 自分の必要性を見失うと、自分が嫌いになる。社会に必要とされていないと思うだけでかなしい。

 

 社会に必要とされない自分に気づいてしまったら、自分は何のために生きているのかわからなくなる。自分の人生の目的がわからなくなれば無意味に感じる。

 

 そして、自分を必要としない社会のことは嫌いになって、必要とされない自分も嫌いになる。そんなの、誰だって死にたくなる。そういうときも何回かあった。

 

 「自分社会に必要とされてる、俺がいなきゃこの世の中ダメだ!」って思いながら自殺する人なんて絶対いないじゃん。

 

 脱線しすぎな気がするけど、要するに人はみんな誰かに必要とされたいのである。

 

 その方法のひとつとして、僕は動画投稿とか作曲がしたいんです。

 

 単に、めっちゃいいPCと周辺機器があるから、それを生かしたことがしたいっていうだけなんですけどね。

 

 というわけで、童貞で幕を開けた2021年ですが、そんなわけで、動画投稿とか、作曲とか「創造」的な活動をたくさんしていきたいと思っているので、ぜひよろしくおねがいします。

 

 端的に言うと、「動画あげたら見てね!」

です。

 

 

 キーボードめっちゃ打てて満足したのでここで終わりにします。いやレポート書けよ。

 

 読んでいただき感謝。