すらいむのひとりごと

童貞のオタクがお送りする群像劇スペクタクル

引くほど寝れないので眠くなるまでワイの原点について考えながら書く

こんばんはの時間です。ただいま午前3時20分です。マジで寝れない。寝られるように『秒速5センチメートル』観てコンディション整えたのに結局寝付けない。一体何故だ。ただ、別に睡眠には困ってないし寝る理由も特にはないのでこうしてブログを書きながら最高のコンディションを探していこうかなと思います。これは僕のためのブログなので多分読まれることを想定したものではないかもしれないですけど、僕の人生について書こうと思っているのでまあこんな人もいるんだくらいな参考になればいいと思います。なんの参考だよという発言はしません。

さて、寝れなかった時にふと僕の頭によぎることがあるんです。それは何かと言ったら僕が「陽キャ」になるか「陰キャ」になるかの人生のターニングポイントになった時の話です。ほんとに今でも思い出しますし、きっとあの日の決断が今の僕を作っています。それが正しいのか間違っていたのかは誰にもわかりませんけど、それでも僕はそれを背負って生きていくしかないんでしょうね。そんな話を僕が眠くなるまでしたいと思います。正直この話は今まで一度も誰にもしたことないです。

それは僕が高校2年生だった時の5月頃だったんじゃないかと思います。その日は学校「芸術鑑賞会」というイベントがあって、毎回校外に出て何かしらの芸術に触れるというものなのですが、その瞬間はそのイベントの終了後、午後4時ごろだったかな。僕がその会場から家に帰ろうという時、2つの選択肢がありました。

ひとつは、今いる俺とあと3人くらいの友達と一緒に帰ること。もうひとつは、クラスで遊ぼうと召集がかかっている場所に行くこと。

その当時はこの瞬間が、今後の人生をここまで変える選択肢になるなんて全く思わなかったです。人生の分岐点は思わぬところにあります。

俺はその3人と一緒に帰ることを選びました。だってこんな晴れた日の夕方に家に帰らないなんて間違ってるじゃないですか。しかも普通に友達といるんだから一緒に帰るのが筋ってもんでしょ。だから帰路についたんです。そういえばこの前の卒業式の帰りもそいつらと一緒に帰りました。

その後日、例のクラスの召集の話を聞きました。どうやら男10+女10人くらいで鎌倉の海で遊んだということです。楽しかったということだけ聞きました。この辺からそいつらがなんの話をしているのかよくわからなくなってきます。あのよくわからない話を聞いている感じって本当に不思議なんですよね。普通の世間話だったら内容わからなかったとしても途中から話に参加することってできるんですよ。でもそのよくわからない話の時はそれが不可能なんです。俺の知らないどこかに話の基盤になるようなものがあって、それを知らない限りその話を文法的に理解することが出来ても、内容を理解することは決して出来ないんです。しかもその基盤は俺の知らないところで改変を繰り返している。だから一生理解にたどり着くことは無い。この現象のせいでいつだって既成のコミュニティに入ることは非常に難しいのです。それでもこの頃の僕はまだ大丈夫でした。まだみんなと仲良くなろうという気持ちがありました。まだ5月とかだったしこれからこれからなんて思っていました。

そんな毎日をしばらく続けて6月頃。文化祭準備の頃ですかね。僕はその10+10人で組織されたLINEグループの存在を知ります。言うまでもなく僕は入っていませんでした。ここで僕は全てがわかったのです。そのよくわからなかった話の基盤はここにあったのだと。そしてそれは決して俺には理解の及ばないものなのだと。あの時の疎外感と言えば語り尽くせないものがあります。みなさんもしかしたら思うかもしれません。「しょせんクラスの半分くらいでしょ?大したことないでしょ。」確かに、現在提示されている数値だけを考慮したら。でも、ここで新しい情報を提示させて頂きます。確かその時のクラスの男の数は13、14人くらいだったと思います。そこから10人ですから、疎外感を感じずにはいられません。

そろそろ筆が進まなくなってきました。そろそろ眠いわな。

さて、ここで俺の「みんなと仲良くなろう」という安直な気持ちはなくなりました。結局人間みな友達になれるかといえば、この情報化&分断社会においては不可能だと思います。結局、理想は理想のまま終わるから人々の理想になるわけ。そして人間関係から手を引いた俺の他人に使う時間というものは消滅し、余った時間が発生する。

ここで俺が自分は偉かったなぁと思うのは、その余剰時間を「勉強」に回したことです。

明けて7月、夏休みに入った俺は受験勉強に身を捧げていくことになるんですね。

つまり、僕は人生のターニングポイントにおいて、「陰キャ」になることを選び、志望校に合格するという人生を選んだということになります。

冒頭でも話しましたが、この道が正しかったなんて証明はできません。「陽キャ」になる道を選んでいたならば、もっと豊富な人生経験と人脈を手に入れ、何より現時点で比較するとより楽しい人生を送れていた可能性だってあります。

ではその道を選んだことを間違っているか?後悔しているか?

そう聞かれたなら僕はきっと首を縦には振りません。「県で一番青春が出来る高校」とも称される(今日バ先で初めて聞きましたけど)学校でこんなに青春から離れた生活をしたことは確かに心残りではあります。それでも、もちろん別の要因ももちろんありますが、この道を選んだからこそより勉強しようという気持ちになれたのは確かですし、ベクトルは違っているかもしれないけど楽しかったこともあった。だから作れた人間関係だってある。

結局、人生に成功とか失敗とか付けるのは後世の人々がすることであって、今生きてる人が自分について正当な評価を下すなんてできないんです。自己評価するならそれは嘘でも高い方が健康にいいですけど。だから俺はその過去を背負いながら今を全力で生きるしかないし、失敗を恐れてもいけないんだと思います。だって失敗かどうか決めるのは自分じゃないんだから、そんなものを自分で想像して恐れるなんてよく考えたら道理じゃない。とはいえ、怖がることも人間の本能だしそこは上手く調整していくしかない。とにかく俺は生きていくぞとしか言えない。

きっと人生はあっという間なんだろうな。本当に人生は一度きりで、やり直せないんだろうな。きっと心のどこかではやり直せるって思っているんだろう。

だからたまにはこういうことを書いて、自分に戒めるのです。

自分のために生きろってね。

朝焼けと共にこんなブログを投下してしまうなんて罪深い。ということで私は罪に問われる前に泣き寝入りさせてもらいたいと思います。おやすみ。そしておはよう。

午前4時12分。私は今日も生きるのです。